無為の煌めきのなかに〜『短歌ください その二』

●穂村弘著『短歌ください その二』/KADOKAWA/2014年3月発行

 雑誌『ダ・ヴィンチ』誌上で現在も連載中の短歌投稿コーナーに寄せられた作品を収めた単行本の第二弾。編者の穂村弘は一九九〇年代に「ニューウェーブ短歌」運動を推進した歌人の一人である。投稿者のなかにはすでに歌集を出版する人もあらわれたらしく、なるほどおもしろい作品が並んでいる。穂村の解説も簡潔で秀逸だ。

 一戸詩帆の〈心臓で封をしたので心臓がなくなってくるしいです、よんで〉はハート型のシールでラブレターの封をした時の思いを歌にしたもので、その発想じたいがチャーミングだし、〈顔文字の収録数は150どれもわたしのしない表情〉も今どきの歌という感じがする。

〈ジャージ着た七三分けの先生に服装検査される屈辱〉(麻倉遥)は読んで思わず納得、〈針に糸通せぬ父もメトロでは目を閉じたまま東京を縫う〉(木下龍也)、〈「おがあさんおどうさんといづまでもながよぐ」と祝辞を述べる夢の中〉(九螺ささら)の言語感覚もおもしろい。

 たかだまの作品〈カーテンのチェックの柄の法則を見破るだけで終わった日など〉に対する穂村のコメントに彼の短歌・文学観がにじみでている。

 現世的な価値を全く生むことのない考えや振る舞い、それだけがもつことのできる煌めきを感じます。「現世的な価値」を認め、求めることは、今存在する世界を強化すること。それに対して、無為の煌めきの中には、今はまだ発見されていない未来の宝石があるのかもしれません。(p65)

 穂村はかつて自著『短歌の友人』のなかで現代の短歌を「等身大の文体」と特徴づけた。自己意識そのものがフラット化し、それに伴って修辞レベルでの武装解除がおこったのだ、と。本書に収録された作品にもその特徴は顕著ではないかと思う。いずれにせよ本シリーズに接して短歌に対する関心が喚起される読者はたくさんいるに違いない。

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